Lou Harrison / La Koro Sutro (1988)
( American Gamelan , Modern Composition , Choral Music , Chamber Music )

La koro sutro
1.Kunsonoro Kaj Gloro
2. Strofo 1
3. Strofo 2
4. Strofo 3
5. Strofo 4
6. Strofo 5
7. Strofo 6
8. Strofo 7 Mantro kaj Kunsonoro

Varied trio
9. Gending
10.Bowl Bells
11.Elegy
12.Rondeau in Honor of Fragonard
13.Dance

Suite for violin and American gamelan
14.First Movement
15.Estampie
16.Air
17.Jhala I
18.Jhala II
19.Jhala III
20.Chaconne 
Lou Harrison / La Koro Sutro (1988)

  ガムラン(Gamelan)。インドネシア各地に伝わる様々な鍵盤打楽器オーケストラの総称の事で、語源はマレーシア語で《叩く》という意味。バリ島やジャワ島に観光に行った人なら誰も耳にする、極めてシアトリカルな要素の強い民族音楽。鉄琴やドラ、太鼓、壷のような形状の旋律打楽器を中心に編成され、祭礼や冠婚葬祭、更に観光客の為のショーとして演奏される、インパクトある民族音楽(竹製の楽器で構成される民族音楽《ジュゴク》も有名)。ミニマル的に似たような旋律を反復して演奏されるのが特徴であるガムランは東南アジア地区を代表する民族音楽として、世間一般に非常によく知られております。まさか『ガムランなんて今まで1度も耳にした事ないよ』なんて人はいないと思いますが。

 西洋音楽と東洋音楽の垣根を外し独自のユニークなアメリカン・ガムラン・サウンドを築き上げた、エキゾチックな作風で知られる現代音楽作曲家、ルー・ハリソン(Lou Harrison、1917年5月生まれ)が2003年2月に米インディアナ州ラフィエットにあるデニーズ・レストランで亡くなってから8ヶ月近く経とうとしています(ちなみにイタリア出身の前衛作曲家ルチアーノ・ベリオが亡くなったのはルー・ハリソンの訃報のおよそ3ヶ月後に当たる2003年5月)。
 なに?ハリソン?ハリソンといえば、元ビートルズのギタリスト、ジョージ・ハリソンや、米ニュー・ウェーブ・バンド《トーキング・ヘッズ》のメンバーだった、ジェリー・ハリソン、あるいはニュー・オリンズ出身のジャズ・サックス奏者ドナルド・ハリソン当たりの名前が挙がるでしょうか。映画ファンなら《インディ・ジョーンズ》こと、ハリソン・フォードの名前が即座に上がるでしょう。しかし、クラシック音楽(現代音楽)の好きなリスナーだったら”ハリソン”と言われたら米オレゴン州ポートランド出身のルー・ハリソンの名前が一番最初に浮かぶでしょう。


 米オレゴン州ポートランド出身のルー・ハリソンは幼少の頃、家族の都合でカリフォルニア州に移住、高校卒業後はサンフランシスコに移り住み、そこで5歳年上のジョン・ケージと共にアメリカ実験音楽の先駆的存在と言われる作曲家ヘンリー・カウエルに師事し、作曲や民族音楽学などの講義を受けています。ちなみに、ヘンリー・カウエルに非西洋的な見識眼を植付けさせるキッカケを与えた師匠的存在といえる作曲家・音楽評論家のチャールズ・シーガーという人物は20世紀アメリカのフォーク・ミュージックの父ピート・シーガーの父親で西洋音楽だけに留まらず、広い視野で世界の音楽に耳を傾ける事が必要であると100年近くも前から説いていた、なかなかの偉人(作品は聴いた事はありません)。
 ヘンリー・カウエルの民族音楽学の講義を経て、ジョン・ケージ共々非西洋圏の芸術や音楽に興味を持つ事となったルー・ハリソンはジョン・ケージとのコラボレーションとなる打楽器作品「ダブル・ミュージック」(Double Music for percussion quartet)を1941年に発表後、翌1942年にはロサンジェルスに移り、そこで師カウエルも影響を受けたという12音技法の提唱者、アーノルド・シェーンベルグに師事しています。さらに1年後の1943年には今度は大都市ニューヨークに移り住み、そこで音楽家やライターとしての活動を行っています。ライターとしての活動もかなり本格的なものだったらしく、1944年から1947年の間にヘラルド・トリビューン(Herald Tribune)という雑誌におよそ300程の音楽レビューが掲載されたのだとか。


 このニューヨーク在住時代には作曲家チャールズ・アイヴスとも親交を持ち、アイヴスの「交響曲第3番」のニューヨークでの初演の際にはニューヨーク・リトル交響楽団をルー・ハリソン自ら指揮しています。ルー・ハリソンはNY在住時代に「Air in G minor for flute & drone」「Homage to Milhaud, for piano」「Little Suite for piano」「The Only Jealousy of Emer, incidental music」「Solstice, ballet」等、音楽家として数々の意欲的な作品を発表するのですが、人間ルー・ハリソンとしては都会生活には馴染めなかったようで、ノースカロライナ州での大学教授の要職(2年間)を経て、1953年からは少年時代を家族と共に過ごしていたカリフォルニア州に舞い戻り、そこで定住してしまいます。
 ルー・ハリソンの写真を見ると見るからに性格の良さそうな紳士然といった風貌、”カリフォルニアの青い空”じゃありませんが、気候の温暖な西海岸で育ったルー・ハリソンにはやはり都会の喧騒は合わなかったのでしょう。1960年代以降、ハリソンは日本を含むアジアの各諸国を歴訪して東洋音楽を自らの音楽に積極的に取り込むようになり、特に1970年代以降はインドネシアの民族音楽ガムランを積極的に研究、伝統的なガムランの為に、或いは自作したガムラン楽器のために、幾つかの作品を発表しています。このようにして、西洋人ルー・ハリソンは西洋人の立場から見た東洋の音楽や民族楽器を上手に伝統的な西洋音楽の中に取り込み、親しみ易い美しい音楽に仕立てあげたのでありました。


 本アルバムはフリー・ジャズから現代音楽まで幅広い音楽を発表する、サンフランシスコを拠点とするレーベル、New Albion Records から1988年に発売されたCDで、録音場所は1987年の UC Berkeley 校ハーツ・ホール。ちなみにタイトルの「ラ・コーロ・スートロ」とは《般若心経》の事を指すらしい。収録されているのは3作品で、うち「La Koro Sutro」「Suite for Violin and American Gamelan」の2作品でアメリカン・ガムランが登場しています。本投稿の冒頭で紹介したインドネシアの民族音楽《ガムラン》と似たような音色を発する楽器をアメリカで製作、これが俗に言う《アメリカン・ガムラン》。本家ガムランほどの強烈な鋭い音色を発する訳ではありませんが、その代わりに柔らかく美しい音色を発するのが特徴。
 幼少時代をカリフォルニアで過ごした影響なのか、それとも東南アジアの各諸国を歴訪して西洋文化とは違う歴史や文化、仏教思想などにこれまで触れてきた実体験が生きているのか、ルー・ハリソンの作品には伝統的な西洋音楽の形式に拘る他の音楽家達の作品とは違う、独特の優美な美的世界を感じるのが特徴。ハリソン同様西海岸で生を受けたジョン・ケージとはまた違った意味で非西洋的な音楽を目指した、オリジナルティを発揮した作曲家として、後世の音楽史に残したい重要な音楽家ですね。ジョン・ケージに眉をしかめる人も、ルー・ハリソンの音楽なら大丈夫でしょう。

 しかし基本はあくまでも西洋音楽の作曲家。「非西洋圏のワールド・ミュージックに耳を傾けて広い視野を持つ事は音楽家にとってプラス」と説いた師ヘンリー・カウエルの意思を身をもって引き継ぎ、自家製の《アメリカン・ガムラン》まで製作して、自分なりのオリエンタル思考を西洋音楽に注入するルー・ハリソンのスタンスは飽くまでも西洋音楽。ここで登場する、100人のコーラスとアメリカン・ガムラン、ハープ、オルガンなどが登場する「La Koro Sutro」も最終的には東洋音楽の手法を盛り込んだ西洋音楽に過ぎない訳ですが、安直に東洋音楽の要素を表面的に盛り込んだだけの3流音楽家の贋作作品とは次元が違う事だけは強く力説しておく。

ちなみにアルバム・タイトルの「La Koro Sutro」はエスペラント語。英訳すると「The Heart Sutra」となります。


投稿日 : 2000/05/07(加筆:2003/9/19) 

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