喜納昌吉 / 喜納昌吉&チャンプルーズ (1977) |
(Asia, World Music, Okinawa Trad., Heart of Soul) |
1. ハイサイおじさん 2. 浮気節 3. レッドおじさん 4. 番長小 5. 東崎 6. すくちな者 7. いちむし小ぬユンタク 8. 馬者小引んちゃー 9. 島小ソング 10. 東京賛美歌 11. 島小ソング - シングル・ヴァージョン |
かつて、ドリフターズの全盛時に志村けんが、「へんなおじさん〜」というギャグで御茶の間の笑いを誘いましたが(志村けん自身がパクッたかどうかは判りませんが)、私が高校生だった時に日本の最果て沖縄県から現れた、なんともおかしな歌詞に沖縄民謡をベースに用いて歌う音楽家が現れました。喜納昌吉、その人でした。あのボブ・マーレーに『彼の音楽は僕に多くのインスピレーションを与えてくれる。日本で公演できる機会があったら、次はぜひ喜納昌吉と共演したい。』と言わせた程の喜納昌吉は1948年、アメリカ占領下時代の沖縄に生れました。父は沖縄民謡の第一人者でもあったそうです。 しかし、喜納昌吉の伝説はレコードよりも、ライブ・アクトに数々の逸話が残っておるようです。本土デビューの1977年、海外の大物ミュージシャン以外ではじめて観客を躍らせた逸話や、1989年のインド公演では余りの観客の熱狂ぶりに主催者が恐れをなして途中で中止してしまったとか、故ジョン・レノンの生誕50周年記念コンサートへの出演、ブールジュ春の音楽祭への出演。政治的に対立していた者同士が一緒に踊りはじめた話、ライ・クーダーやデヴィット・バーン(元トーキング・ヘッズ)、ボブ・ディランらとの競演。また、韓国で堂々と日本語で歌ったのも喜納昌吉が最初だとか。 「老いも若きも踊らにゃ損」じゃありませんが、国籍や性別、年齢を超えて世 界中の人を熱狂させるものはなんでしょうか。アメリカ占領下の沖縄で生れた彼がいつの間にか彼のスローガンとなっている以下の文で解ります。 『すべての武器を楽器に』 デビュー時から一環として唄われる喜納昌吉の魂の叫び。ジョン・レノンの生誕記念イベントで一際彼が観客や出演者から喝采を浴びたのも、彼の魂の叫びが会場を訪れた聴衆の心を大いに打ったのでしょう。喜納昌吉を世界に誇る日本のジョン・レノン、と表現したらどうでしょうか。つい先日、厳戒態勢の中、無事終了した沖縄サミット。何故にサミットがイベントなのか、私にはよく理解できなかったのですが、各国の首脳の前で歌ったのが、 沖縄出身の女性ポップ・ボーカリスト、アムロ嬢。 |
投稿日 : 2000/8/18 |