Hermeto Pascoal / Slaves Mass (1977)
( Brazilian Jazz , Latin Jazz ,  Fusion/Crossover , Avant-Garde)

1. Mixing Pot (Tacho)   
2. Slaves Mass (Missa Dos Escravos)  
3. Little Cry for Him (Chorinho Pra Ele)  
4. Cannon (Dedicated to Cannonball Adderley) 
5. Just Listen (Escuta Meu Piano) 
6. That Waltz (Aquela Valsa)  
7. Cherry Jam (Geleia de Cereja)
Hermeto Pascoal / Slaves Mass (1977)

  1936年、ブラジルはアラゴアス州アラピアカ郡出身の音楽家エルメート・パスコアル。独学で音楽を習得した彼はブラジル国内で音楽活動を行った後、米国に渡りマイルス・デイヴィスらの作品に参加した後一端母国に戻り、その後はブラジル音楽やジャズのスタイルを踏まえながらも万能演奏家としての特技を生かしてピアノやギター、フルート、アコーディオン、サックス、パーカッションといった鍵盤楽器、管弦楽器、打楽器等の多彩な楽器を駆使、汎用なジャズ・ミュージシャンなら取り組まないような変拍子のリズムを多用して演奏、またナベやヤカンなどの非楽器を使用したり、ブタやニワトリなどの鳴き声を利用するなど、そのアバンギャルドな演奏スタイルはジャズの世界では異端中の異端として扱われている存在。 
  だからこそ、私のようなジャズ初心者が取り上げる訳ですが、日本ではマニアックなジャズ・ファンを除けばエルメート・パスコアルの認知度はそれほど高くなかったのが実情ではないでしょうか。1970年代に活躍したロック界のジョニー&エドガー・ウィンター兄弟と同様、不幸にしてアルビノ(先天性色素欠乏症)として生まれてしまったせいか常にサングラスが欠かせないエルメート・パスコアルですが、近年日本でもエルメート・パスコアルの過去のアルバムが徐々に国内CD化されつつあり、入手し易くなった状況の様なので私も今後はエルメート・パスコアルの名前を忘れずに覚えておこうと思います。

  幼少の頃から音楽に親しんでいたというパスコアル少年はサンフォーナと呼ばれるボタン式のアコーディオンを父親から贈られたのを契機に練習、既に11歳の時点で地方のパーティなどで家族と共に人前で演奏を披露したりしていたようだ。1950年にはパスコアル一家はペルナンブコ州レシフェに移住、そこで彼は地元ラジオ放送局と契約しデビューを果たす事になります。ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビン、セルジオ・メンデスらを中心としたボサ・ノヴァ・ブームがブラジル国内の音楽界に旋風を巻き起こしていた1950年代後半から1960年代中頃に掛けての時期、エルメート・パスコアルはリオでの演奏活動を経て1961年以降のサンパウロ時代で(当時既に管弦楽器の演奏も習得していたようです)トランペット奏者やドラム奏者らとバンドを組んで音楽活動を展開している。
 エルメート・パスコアルは1964年にはブラジル音楽界を代表するパーカショニスト、アイアート・モレイラ(Airto Moreira)が主宰するバンドに加入してモレイラと活動を共にしていた時期もあったようだ。1966年にそのアイアート・モレイラらとクァルテート・ノーヴォ(Quarteto Novo)というバンドを結成して翌1967年にセルフ・タイトルによる「Quarteto Novo」を発表(1995年にCD化?)しているが、アイアート・モレイラが彼の妻でボーカリストのフローラ・プリムと共に1968年に米国に移住してしまう。必然的にバンド活動続行は不可能となり結局エルメート・パスコアルが在籍していたクァルテート・ノーヴォは解散の憂き目に。

  この後エルメート・パスコアルはロン・カーター、ジョン・マクラフリン、チック・コリア、ジャック・ディジョネット、ウェイン・ショーター、アイアート・モレイラ、キース・ジャレット、ジョー・ザヴィヌルらの面々が名を連ねた巨匠マイルス・デイヴィスの1970年発表の2枚組ライブ盤「Live-Evil」に参加するなど、米国を中心とした音楽活動を展開する事になる。米国時代の1971年にはモレイラ&プリム夫妻も参加したエルメート・パスコアルにとって初のリーダー作となる「Hermeto」を録音(翌年発表)している。この後エルメート・パスコアルは1973年に一端ブラジルに帰国、ソロ・アルバムも発表している。1970年代末には日本に来日して公演を行った事もあったとか。
 エルメート・パスコアルの音楽活動は尚も続く。1980年代には自身のバンドを率いて幾多のアルバムを発表、1990年代に入って1992年にアルバムを発表した後暫く沈黙してブランクを作ってしまうが、1999年におよそ7年振りとなる「Eu E Eles」を発表してファンの前に健在ぶりを示してくれた。この作品、私は所有してはおりませんがアルバム紹介記事などを読むと、マイク・オールドフィールドの「チューブラ・ベルズ」ならぬ、一人で60種類以上の楽器群を演奏して完成にこぎつけたとか。ちなみに発表当時62歳、一人ならそりゃ7年もかかる訳です(笑)。是非、1度は聴いてみたいものです。


 ■ Hermeto Pascoal  - Keyboards, Vocal, Sax, Flute, Guitar
 ■ Ron Carter       - Bass
 ■ Alphonso Johnson - Bass  
 ■ Airto Moreira    - Drums, Percussion
 ■ Chester Tompson  - Drums
 ■ Raul De Souza    - Trombone  
 ■ David Amaro      - Guitar
 ■ Frola Purim      - Vocal

 さて、今回紹介する作品はエルメート・パスコアルがセルジオ・メンデスのアルバム製作に参加した後の1977年に発表されたものであり、アイアート・モレイラの誘いを受けて米西海岸で録音された作品。録音にはモレイラ&プリム夫妻に加えて、ロン・カーターやロック・ファンにはジェネシスやフランク・ザッパ、スティーヴ・ハケットの作品で御馴染みのチェスター・トンプソンも参加している。アルバムに収録されている曲は全部で7曲で、内「Cannon」は本作品発表の2年前に亡くなったジャズ・サックス奏者、キャノンボール・アダレイに捧げられたもの。ちなみに本CDは《名盤探検隊》という復刻企画の中の1枚として発売されたもの。
 実は「Slaves Mass」は私にとってエルメート・パスコアル初体験盤です。「なんだ、普通じゃないか」。エルメート・パスコアルの潤いのあるエレ・ピアノの旋律からパーカッシブなサウンドに乗って始まる、リターン・トゥ・フォーエバーやウェザー・リポートにも通じる1970年代前半のフュージョン/クロスオーバーなサウンド。ブラジル音楽を土台とした冒頭1曲目を聴く限りにおいては単純にそう思ってしまいますが、「Slaves Mass」を聴き続けるに従って私のジャズ・アルバムに対する一般的な印象度の範疇を越えるエレメントが徐々に登場してくる。

 「ぷーぷー、ぷーぷー、ぷーぷー、ぎグウェ〜、ぎグウェ〜」とブタの鳴き声に乗って始まる悪魔的な宗教儀式のような楽曲、電波発散しまくりのインプロヴィゼイションなピアノ曲、ユニークな変拍子スタイルの楽曲、亡きキャノンボール・アダレイに捧げられた曲のバックで登場する変態ボイスはまるでピンク・フロイドの実験作「ウマグマ」の中の「毛のふさふさした動物の不思議な歌」のようだ。一見普通のブラジリアン・ジャズのようで実はちょっとネジの緩んだ変態アルバム。しかしそれも、”ジャズ・アルバムとしては”、という断り書きがつきますので安心して下さい。みょ〜な数曲除けばベースはやはりブラジリアン・ジャズ。


投稿日 : 2002/07/09 

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