投稿日:2000/05/04  投稿者:七福神

Genesis / Nursery Cryme (1971)
( Progressive Rock,  Symphonic Rock )

1. Musical Box 
2. For Absent Friends 
3. Return of the Giant Hogweed 
4. Seven Stones 
5. Harold the Barrel 
6. Harlequin 
7. Fountain of Salmacis
Genesis / Nursery Cryme (1971)

  邦題名《怪奇骨董音楽箱》。1970年代の英国のプログレッシヴ・ロック・シーンを代表する、1950年ロンドン生まれのカリスマ・ボーカリスト、ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)がジェネシスに在籍していた時期に発表された1971年の衝撃作。ポール・ホワイトヘッド氏による幻想的なイラストに囲まれた、英国ロック以外の何物でもない本作「Nursery Cryme」は私にとっても非常に思い入れのある作品です。記録によれば1977年の春、ピンク・フロイドの「原子心母」とほぼ同時期に購入したこの「Nursery Cryme」は私個人にとってプログレッシヴ・ロックの初体験というべき作品でした(それまで聴いていた音楽といえばビートルズ&ソロ・ワークス、ローリング・ストーンズ、フー、ディープ・パープル、バッド・カンパニー、エアロスミスら)。
  白い衣服に身を包んだ少女が人間の生首でクリケットに興じるという、なんともいえぬ怪奇なジャケに包まれた音楽の内容は、私がそれまでに聞いてきた、直線的でポップな音楽とは全く異なる、そう、まるでオカルト風味の不思議な音楽であり、「世の中にはこんな不思議な音楽があるのものなのか」と純真な当時の私はそう感じたものでした。時を経ても色褪せぬ事のない独特のアルバム・カバーに飾られた本作品はCD化されて発売された時も買い直し、また再発(リマスター)の度に衝動買いしてしまうなど、私の洋楽人生に於いても重要な位置を占める思い入れの非常に強い作品です。

  今日ではキング・クリムゾン、ピンク・フロイド、イエス、ELPと並び、英プログレッシヴ・ロックの5大バンドとして語られるジェネシスですが、”ジェネシス=プログレ”と連想する人はある程度年齢層の高い、1970年代から洋楽を聴いている古手の洋楽ファンである事でしょう。そんな人からすれば《ジェネシス=ピーター・ガブリエル》である筈です(「トリック・オブ・ザ・テイル」「静寂の嵐」「セカンズ・アウト」もOK)。 また、”ジェネシス=フィル・コリンズ”とくれば、これはもう、1980年代から洋楽を聴き始めた人であり、そんな人からすれば恐らく「アバカブ」や「デューク」当たりが許せる限界でピーター・ガブリエル在籍時のジェネシスなんぞ、「未完成で垢抜けない作品」という評価を下しているかもしれません。1980年の「デューク」と境にして真っ向から評価の別れるバンドと言えるでしょう。
  個人的には当然の事ながら”ジェネシス=ピーター・ガブリエル”であり、『ジェネシス』といえば、上記にも書いた通り英5大プログレ・バンドの一つと連想してしまうのが私。正直に申すと「Invisible Touch」「We Can't Dance」「Calling All Stations」は今だに聴いた事もありませんし、残念ながら興味も湧きません。「幻惑のブロードウェイ」に収録された「Carpet Crawlers」の1999年再録盤(ピーター・ガブリエルとフィル・コリンズの共演)には心踊らされましたが。 勿論、”ジェネシス=フィル・コリンズ”時代を非難するつもりもありません。名前は同じでも違うバンドと認識しておりますし、ポップ・アルバムとして評価するなら「アバカブ」や「デューク」「ジェネシス」も、そんじょそこらの汎用な他のポップ・アルバムとはレベルの違う、非常に質の高い作品ですから。が、私はやはり、ジェネシスといえば”ピーター・ガブリエル”であり、”怪奇骨董音楽箱”であり”月影の騎士”であり”幻惑のプロードウェイ”なのであります。初めて聴いた時には既にピーター・ガブリエルは脱退した後なんですけれどもね。


 ジェネシスの歴史を遡ると、ピーター・ガブリエル(1950年生)、キーボード奏者のトニー・バンクス(1950年生)、ギタリストのアンソニー・フィリップス(1951年生)、ベース担当マイク・ラザフォード(1950年)、ドラマーのクリス・スチュワートらによって結成されたハイスクール時代のアマチュア・バンド(1966)まで遡る事になります。正式にバンド名をジェネシスとして1967年12月にレコーディング、翌1968年に「The Silent Sun」というシングルでデビューを果たします。「A Winter's Tale」という2枚目のシングルをリリースした後に、新ドラマーのジョン・シルヴァーを迎え入れて、試行錯誤のデビュー作と言える「From Genesis to Revelation」(邦題:創生期)を1969年にリリースしますが、熱狂的なファン以外は本作は無視してもよいでしょう。
  この後新ドラマー、ジョン・メイヒューの加入、メロトロンやハモンド・オルガンといったシンフォニック・ロック/プログレシヴ・ロックにとって必需品とも言える楽器の導入、アンソニー演奏による12弦ギターの導入など、機の熟したバンドは次なる「Trespass」(邦題:侵入)で見事花開く事に。プログレ・バンド=ジェネシスの出発点といえる本作をリリースした後、なんとアンソニー・フィリップスが脱退、またメイヒューも脱退してしまった為、ジェネシスは新たに新ギタリストと新ドラマーを迎え入れる事になるのですが、そこで加入したのがクワイエット・ワールドのギタリストだった、スティーヴ・ハケット(1950年生)とフレイミング・ユース(Flaming Youth)というバンドのドラマーだった、若きフィル・コリンズ(1951年生)でした。新たな2人のメンバーを加えたジェネシスは新しいアルバムを製作する事に。それが「Nursery Cryme」!

 1974年、ピーター・ガブリエル発案によるコンセプトを元に製作された2枚組アルバム「幻惑のブロードウェイ」はアルバム・カバーがヒプノシス、ゲストとしてブライアン・イーノが参加するなど、それまでのジェネシスでは見られなかった洗練された姿を披露するも、バンド内外の諸問題などによりバンドの大看板、ピーター・ガブリエルが脱退してしまいます。ジェネシスはこれで終わり、と誰もが思ったものの、バンドは新メンバーを招き入れる事なくドラマーのフィル・コリンズのメイン・ボーカリストに据えて活動を続行します。まるでピーター・ガブリエルのように歌う、1976年発表の「トリック・オブ・ザ・テイル」を初めて聞いた時は少々驚かされました。まるで山田康雄亡き後、先代ルパン3世の吹替えを似せて仕事をこなさなくてはならない栗田貫一のようです。
  続く「静寂の嵐」(1977年)ではキーボード奏者のトニー・バンクスが大活躍するキーボード・アルバムに仕上がりますが、このアルバムを最後にアンソニー・フィリップスの抜けた穴を充分過ぎるほどカバーしてきたギタリストのスティーヴ・ハケットが脱退。通常ならここで解散してしまうのがよくあるパターンですが、残されたフィル・コリンズ、トニー・バンクス、マイク・ラザフォードの3人は開き直ったのか、自虐的なタイトルともいえる「そして3人が残った(And Then There Were Three)」を発表します。ガブリエル脱退後、1作ごとにポップさを増してきたバンドは、次なる1980年代最初のスタジオ作品「デューク」で1970年代ジェネシスと本格的に決別、新たなジェネシス神話確立の為、活躍していく事になるのです。

 存在感抜群のピーター・ガブリエルの代役として2代目リード・ボーカリストに就任したフィル・コリンズも「トリック・オブ・ザ・テイル」の時のように最早ピーター・ガブリエルの声に似せて歌う必要のないほどのビック・ネームに成長、ソロとしてもフィル・コリンズは「見つめて欲しい」「ワン・モア・ナイト」「ススーディオ」「恋はゴキゲン」等のビック・ヒットを連発するなど、一躍時の人に成長するのです。商業的にはピーター・ガブリエルを上回る成功を収めたと思われるフィル・コリンズですが若い洋楽ファンにとっては既にフィル・コリンズの名前さえ過去の名前かもしれませんが。


 ■ Peter Gabriel   - Vocals, Flute, Percussion
 ■ Steve Hackett   - Acoustic & Electric Guitar
 ■ Mike Rutherford - Bass, Bass Pedals, Acoustic Guitar, Vocal
 ■ Phil Collins    - Drums, Percussion, vocal
 ■ Tony Banks      - Organ, Mellotron, Piano, Electric Piano, Acoustic Guitar, Vocal

  囁くようなピーター・ガブリエルの繊細なボーカル、ドラマティックで劇的なサウンド、今の時代感覚で聴きかえせば演奏こそ拙いと感じるものの、寓話の世界を音像化したような「Nursery Cryme」での音楽はジェネシスのみ許される音の万華鏡であるちと誰もが感じるであろう。イエスやELP等、同世代のプログレッシヴ・ロック・バンドと比較すると演奏技術やスタイリッシュさ、あるいはエンターテイメント性の点でジェネシスは大きく見劣りしますが(事実イエスやキング・クリムゾンといったバンドのメンバーからは当時自分達よりも低いレベルのバンドとジェネシスは見下されていたようだ)、反面、リスナーに現実離れした御伽橋を想像させてしまうようなファンタジックなオリジナリティは他の汎用なバンドを大きく引き離している。
  世間一般の評価では20分を越える「Supper's Ready」を含む次作「Foxtrot」(1972年)やガブリエル在籍時の作品としては明るい雰囲気の判り易い作風で人気の「Selling England by the Pound」(1973年)当たりがベスト・ワンに名乗り出るでしょうが、ジェネシス初体験、いや、プログレ初体験でもある本作品は個人的にまず最初に取り上げなくては気が済まない超重要作品。ピーターガブリエル在籍時のジェネシスの音楽を知りたければ作品のジャケットを見れば分かる、そう断言してもよいほどジェネシスのアルバム・カバーは彼らの音楽をよく表現しております。ポール・ホワイトヘッド氏の幻想的なイラストも今日のプログレ時代のジェネシスの評価を崩し難いレベルまで押し上げた陰の功労者とも言えるでしょう。

  「ジェネシスのデビュー作って『デューク』だろ?」。1980年代初頭、当時こんな話を友人から聞かされた事を思い出します。その時は笑って話を逸らしてしまいましたが、恐らく当時そう思っていた人は多かったのではないでしょうか。それだけ、ポップ化した”フィル・コリンズ版ジェネシス”は過去のジェネシスとは目指すものが違ったバンドでしたね。ピーター・ガブリエルの脱退後のソロ作に牧歌的なジェネシスの音楽性が殆ど見られなかったのには少々驚かされました。当時はピーター・ガブリエルこそジェネシスそのものと思っていましたからね。当時そう理解していた人も多かった筈です。
  代わりにスティーヴ・ハケットの「Voyage of the Acolyte」やオリジナル・メンバーの一人アンソニー・フィリップスの「The Geese and the Ghost」といった元ギタリスト達の作品、そしてキーボード奏者トニー・バンクスのソロ作品にジェネシスらしいサウンドを聴く事が出来たのにも少々驚かされましたが、直ぐに初期ジェネシスのサウンド面での重要な鍵を握っていたのは誰だったのか、ファンは気付く事になるのです。頭の悪い私は理解するのに時間がかかりましたがね。


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