Ash Ra Tempel / Ash Ra Tempel (1971)
( German Rock, Psychedelic Rock, Experimental )

1. Amboss 
2. Traummaschine 
Ash Ra Tempel / Ash Ra Tempel (1971)

  タンジェリン・ドリーム、クラウス・シュルツェ、クラフトワーク、ノイ、クラスター(ハルモニア)ら、1970年代のジャーマン・エレクトロニクスを代表するバンドと同様、後世の音楽シーン、特に1990年代以降のエレクトロニカと呼ばれる世代の音楽家達に多大な影響を及ぼしたと言われているバンドの一つにアシュ・ラ・テンプル(Ash Ra Temple)というバンドがある。インドの阿育王や鬼神阿修羅、あるいはゾロアスター教に出てくる神の名前をも連想させるような神秘的で古代宗教めいたバンド名だが、このバンドはタンジェリン・ドリームを脱退した独ベルリン出身のドラマー、クラウス・シュルツェ(Klaus Schulze、1947年生まれ)が自分より年下のギタリスト、マニュエル・ゲッチング(Manuel Gottsching、1952年生まれ)やゲッチングの旧友でべーシストのヘルムート・エンケ(Hartmut Enke)と結成したバンド。
  だがドラマーのクラウス・シュルツェはソロ活動の為に脱退(脱退後はポポル・ヴーのフローリアン・フリッケからムーグ・シンセサイザーを譲り受けてシンセサイザー奏者に転身)、ハルトムート・エンケは薬物中毒の為音楽活動も儘ならぬ状態となってしまい、1970年代の中頃には事実上マニュエル・ゲッチングのソロ・プロジェクトと化している。その後、聴き手に宗教めいた先入観を与え易いと思われる《テンプル》という名前をバンド名から外してアシュ・ラと改名して、トランス/ミニマルな音楽を時代に先駆けて発表している。今日のエレクトロニカ世代から評価されているのは、実はこのトランス/ミニマルなアシュ・ラ名義時代の作品が主だそうだが、エレクトロニカ世代ではない私としては、評価するのは当然混沌としたドロドロ・サイケ時代の初期作品である。

  1970年に「Electronic Meditation」で戦慄のデビューを飾った、エドガー・フローゼ、クラウス・シュルツェ、コンラッド・シュニッツラーによるタンジェリン・ドリームだったが、1作のみでクラウス・シュルツェは脱退してしまう。で、この後シュルツェが結成した新バンドがギタリストのマニュエル・ゲッチングやべーシストのヘルムート・エンケによるアシュ・ラ・テンプルだった。サイケデリック・ミュージックやドラッグ・カルチャー、またはフランク・ザッパの異彩な音楽に衝撃を受けて自らの音楽レーベルを設立する気になったというロルフ・ウルリッヒ・カイザーによるレーベルの一つ、Ohr(耳のレーベル・マークで有名)と契約した彼等は1971年にハンブルグ録音による「Ash Ra Tempel」で颯爽とデビューを飾っている。ポポル・ヴーやファウストと同期という事になる。
  だが、タンジェリン・ドリーム同様クラウス・シュルツェはまたしてもデビュー作1枚をもってバンドを脱退してしまう。ゲッチングとエンケは代役ドラマーとしてウォルフガング・ミューラーを迎え入れて(更にゲスト扱いでウリ・ポップ、マティアス・ヴェラー、ヨーン・Lが参加)、「Schwingungen」を1972年に発表、ブルース崩れのサイケデリックなサウンドを展開する。アシュ・ラ・テンプルは初期ジャーマン・ロックの中で最もドラッグにまみれて(公私において)いたバンドであったが、次作「Seven Up」はその最たるもの。この作品はスイスに亡命中だったドラッグ・カルチャーの張本人の一人というべき元ハーバード大学教授にして逃亡者、ティモシー・リアリーとのセッションの模様を収めたもの。


  この作品はロルフ・ウルリッヒ・カイザーが設立したコスミッシェ・レーベルの記念すべきカタログ第一番作品として発売されたが(二番は当サイトでも既に紹介済のセルジウス・ゴロヴィンのソロ)、連日連夜のドラッグまみれが災いしたのか、ベーシストのエンケがドラッグ中毒で廃人。コスミッシェ・レーベルはレーベル第三弾として画家のヴォルター・ヴェグミューラーのソロ作製作を画策、この録音にアシュラ・テンプルはクラウス・シュルツェやヴァレンシュタインのメンバーらと参加するが、この時期マニュエル・ゲッチングはかつての同僚クラウス・シュルツェやエンケ(本作が彼にとって最後の音楽作品)、ゲッチングの恋人ロジ・ミューラー(Rosi Muller)と「Join Inn」の録音も行った(1973年発表)。

  1974年にはロジ・ミューラーとの関係を前面に押し出した私的作品「Starring Rosi」を発表するも、遂にアシュ・ラ・テンプルはゲッチング一人のバンドとなってしまう。1975年にアシュ・ラ路線の伏線というべき一人多重録音による「Inventions For Electric Guitar」を発表、1976年にはフランスのレーベルから「New Age Of Earth」を発表しているが、ロルフ・ウルリッヒ・カイザーやクラウス・シュルツェ、ヘルムート・エンケの存在があってこそのアシュ・ラ・テンプルの名前を自分一人で使い続けるのは不条理であると察したのか、結局これがアシュ・ラ・テンプル名義の作品となってしまった(後にヴァージンから再発された時ににはジャケットが新装されてアシュ・ラ名義で発表されている)。
  今日のアシュ・ラ・テンプルの高い評価を裏付けるアシュ・ラ時代の作品がこの後発表され続ける事になる。「Blackouts」(1978年)、「Correlations」(1979年)、「Belle Alliance」(1980年)などの作品が1970年代の後半から1980年代初頭にかけて発表されているが、最早ここには初期の救いようの無いドロドロとした混沌としたサウンドの欠片は微塵も感じられない。1984年にはソロ名義によるテクノ作品「E2-E4」が発表されている。のちに某有名DJにリミックスされて有名になったとの事だが、私にはなんの事だか。近年のニュースとしては2000年にクラウス・シュルツェとアシュ・ラ・テンプルの看板を久しぶりに引っ張り出して「Friendship」という新作発表したが、これは廃人になってしまったかつての盟友ヘルムート・エンケに捧げられた作品でもあった。


 ■ Manuel Gottsching - Guitar, Vocal, Electronics
 ■ Harmut Enke       - Gibson Bass
 ■ Klaus Schulze     - Drums, Percussion, Electronics

 ■ Conny Plank       - Engineer

  ロックに似てロックに非ず。カンやファウスト、アモン・デュール(U)、ポポル・ヴー、タンジェリン・ドリーム、クラフトワーク、グル・グル、クラスター、ノイなど、電子音楽や現代音楽、民族音楽、フリー・ミュージックなどの通常一般的とは言えない音楽を基盤とする、俗に《ジャーマン・ロック》のカテゴリーに属するバンドはR&Bやブルース、ジャズ、ロックンロールなどの黒人音楽に憧れて模倣する事から始まったブリティッシュ・ロックとは出発点が大きく異なる。だからこうしたバンド群は同じドイツ出身といっても例えばノヴァリスやグローブシュニット、フランピー、バース・コントロール、トリアンヴィラートといったブリティッシュ・ロックの影響を受けて誕生したバンドとも性格を異にする。Ohr/Kosmische Musik に残した一連のアシュ・ラ・テンプル名義の作品も勿論、既存のロック・ミュージックの打破という観点から出発したバンドだった。
  セルフ・タイトルによる「Ash Ra Tempel」は彼等の記念すべき代表作。1970年代前半のアモン・デュールやグル・グル、タンジェリン・ドリーム、エンブリオといったバンドのデビュー作同様、ドロドロとした混沌サイケデリック・サウンドを代表する作品として今日まで語られている作品である。1990年代以降、マニュエル・ゲッチングはエレクトロニカ世代から高い支持を獲得したが、それは主にアシュ・ラ名義時代の作品が大いに貢献した。タンジェリン・ドリームのデビュー作同様、後に孤高のシンセサイザー奏者となるクラウス・シュルツェがドラムを叩いていた貴重な時期に製作された作品であるという性質上、ジャーマン・ロックのマニアなら本作をコレクションの対象から外す理由は皆無だ。1960年代末〜1970年代初頭の混沌とした時代を象徴とする作品でもある。

  薬まみれのサイケデリック・ミュージックとでも表現しようか。米西海岸を拠点として世界に広まりをみせたサイケデリック・ミュージックであるが、薬に溺れて現代社会から逃れようとする現実逃避のヒッピー達とはあまり符合せず、ビートルズを筆頭にサイケデリック・ミュージックの純音楽の部分だけに注目して英国独自のポップ感覚を取り入れたサウンドを構築していった英国とは対照的に(事実、ヒッピー達と共同生活を試しに経験したジョージ・ハリソンはヒッピー達の生活に対して批判めいた発言を後にに行っている)、独ロック・シーンは(当時のドイツ国内でのコミューンでの実態は実感が湧かないのであるが)表面的にはサイケデリック・ミュージックの精神の世界にどっぷりと浸かってしまった様に思える。
  その代表的な人物や作品がロルフ・ウルリッヒ・カイザーでありアモン・デュール「Psychedelic Underground」やタンジェリン・ドリーム「Electronic Meditation」であったと思うが、この「Ash Ra Tempel」を聴いた印象もその傾向に近い。ドラッグで廃人になるまでトリップし続けたメンバーが在籍していた事から判るように、妖しさと荒々しさという点においては全ジャーマン・ロック史上でも屈指の出来だ。ドラッグと決別してミニマル風味のサウンドを構築したアシュ・ラ時代の作品とは全くの別物。テクノ/ハウスしか聴かないファンが安易に手を出すべき作品ではないだろう。グル・グルのようにフリー畑でそれなりの実績を残してきたバンドではないので、演奏技術という点においては甚だ未熟であるが、当時まだ10代であったマニュエル・ゲッチングの若き才能を確認出来るという点では大変貴重な作品である。

  大体、ドラッグの影響なのか、纏めようとする意識がメンバーには最初から希薄。ギターやベース、ドラムス、エレクトロニクスによる半即興的な演奏が旧レコードの片面全部で繰り広げられるのだ。正に魑魅魍魎の世界、紫の煙が漂うスタジオで意識朦朧としながら製作されたのでは、と誰もが連想してしまうような作品だ。例えるならば、どこまでも深く、希望の光すら漏れない絶望の淵に立たされたような暗い気分に陥る作品。毎日聴き続けると精神が病んだ状態になるかもしれぬ。だが、サウンドの遠い向うを眺めてみると、ブルースの旋律が聴こえてくるのだから面白い。アシュ・ラ=マニュエル・ゲッチングの音楽がかつてはプログレ・ファンを中心に低い評価に甘んじていたのも今となっては懐かしい事実。エレクトロニカ以前と以降で、これほど評価が逆転したバンドもなかろう。


投稿日 :2005/5/26

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